自分を一番知ってる人

goohaopanda.hatenablog.com


この記事でプロフィール帳を更新してくのが好きと書いたけど、ある意味でそれは正しかったのかもしれない。
今日元アナウンサーで現在は弁護士をしている菊間さんのお話を聞いたときふとそう思った。

菊間さんはこのように言っていた。

自分の好きなもの、好きな本、好きなテレビ、趣味、気づけばやっていたこと。そんな、途切れ途切れの情報を繋ぎとめていくと、私だけにしか語れないストリーテリングができる。自分を見つめて、自分の計画を立てよう。だって、自分のハッピーに出来るのは自分だけだから!

自分を見つめる作業を怠らず、シンプルな目標を立て、PDCAをガンガン回して来た菊間さんは、もうみるからにハッピーな人で一緒にいるこっちまで元気がもらえる人だった。

そんな彼女のハッピーパワーをご教授するべく、彼女の教えを守る2018年にしたい。
だから、定期的に自分の好きなものを見つけたら記録していこうと思った。そして、どうしてそれが好きなのか問い続けようと思った。

今年一つ目の好きなものログ1は歌にしよう。

歌うことが好きだ。外を歩きながら歌うのも、何かしながら歌うのも、もちろんマイクを使って歌うのも好きだ。
歌っている時はそのことに集中しているから、思考がスッキリする感じがするから好きだ。
そういうことが起こるのはきっと声を出すからストレス発散に繋がるんだと思うからよい。
何か、嫌なことがあってもいいことがあっても、リセットするための一つのルーティーンとして存在している。

4時間歌い続けろと言われても、その倍でも歌い続けられると思う。大学生のうちにやりたいことのひとつは一人カラオケを何時間続けられるか試すこと。安い一人カラオケのお店を知っていれば、ぜひ教えてください。

邦楽も洋楽も好きだ。詳しくないけどKpopも好きだ。歌詞のない音楽も好きだ。アニソンも好きだ。
聞くだけ心拍数を上げてくれる曲は、最近は椎名林檎の曲に多い。

特に好きなのは車の中で歌うことだ。あれはどうしてあんなに気持ちがいいんだろう。
音と一緒に自分が進んでいるからかな。自然が目に入るからかな。だいたい誰かと一緒にいるし、誰かと謳っているからかな。
多分どれも関係している。

アメリカに行った時、2時間バス移動があったんだけど、私は2時間ずっと歌ってた。友達と一緒にずっと歌ってた。
みんなで作る合唱も好きだった。でもあんまりいい思い出がない。

気づけば一緒に歌ってくれるあの人のことが好きだ。
私の好きなもの。歌。

変わり目の時期

新しい年が始まったのに、去年の年末は年賀状も書かなかったし、一昨年は受験生していてかれこれ2年近く正月らしさを忘れている感じがして、あまり年が明けた実感がない。

スマホを覗けば遠くにいる友達、帰省しても連絡取らないくらいの友達、あったこともない人の生活が私のせいかつに普通に侵食してくる毎日のせいかもしれない。インスタのストーリーにあげたら、今日あったのは1人の友達だけど、友達と会ってる時間をストーリーをみた100人くらいに覗かれていると思ったら少し気持ち悪くなった。そして、インスタ消しちゃった。


最近しいたけ占いにハマっていて、これがなんとも言えないくらい的を射ていてよく読んでしまう。
voguegirl.jp

2017年の終わりころに中学からの友達と話していた内容もそうだし、しいたけ占いの2018年の方向性に関することにも少なからず影響を受けていると思う。それによれば2018年は変化の年になる。

変化といっても様々だが、ひとつは意思決定に関わる話だ。
これまで何かをやるか問われた時にだいたいYESを選んできた。
なぜなら何かにつながるかもしれないし、その先になんらかの成果が得られるからだ。
そして、その提案もさほど多くなかった。特に仙台で高校生の時はあまり多くはなかったから、きた依頼やチャンス全てに飛び込んでいても周りから受験勉強をしていないようにみられたり、いらぬ心配をされたりするくらいだった。

今までの選択にはほとんど後悔はしていないし、その結果できたこともたくさんあるから自信や経験になった。

大学生になり、東京に来て、驚いた。
仙台にあるくらいの規模のコミュニティが何百も存在し、その中にも良質なものやできたてのもの、なくても困らないもの、どうでもいいもの、ピンキリのクオリティのチャンスが山のように一気に現れた。だから、選ばなくてはないけない。
そんな時は熱量の合いそうなところ、好きそうなところ、考え方が似ているところ、いろんな観点から判断して行動していった。
結果としてキャパしてが足りなくて困った。意外とやってみたら、難しかったこともあった。そもそもあの人が、考え方が好きじゃなかったと後から気づいて後悔もした。思わぬところで楽しいことに出会い夢中になれた。

結果として得られたものはあったとしても、これは選ばないとやっていけないほどの無数の選択肢の前に立っていることに気づいた。
だから、自信をつけるためになんでも引き受け、トライしていた時の判断基準ではなく、好きだから自分のためにここで自分の時間を使いたいと思える場を選ばなければならないと気づいた。

今まで通りにチャンスはやって来るけど、ちゃんとNOと言って選んでいかなければならない代わりの目の時期。
今そんな時期だと思う。

今まで通りに引き受けたらなんとなく先が見えるけど、楽だし安定していると思う。
でも、好きなもの自分のために時間の使い方ができる場所を選ぶためには、それらのチャンスを断らないといけない。
だから、これまでとは少し判断基準が変わる2018年になる。

好き嫌いが激しくなるのかな。

どうでもいい問い

お正月の帰省もあと1日となった深夜1時にふと書きたくなったので、書きなぐっている。
facebookをひらけばみんなの2017年の総括と今年への期待がたくさん綴られていて、それらはなんだかかっこよく固められている感じがして、今はそんなことを考えられない自分が少し嫌でなんとなく避けていた。そんなキラキラした目標の中ではかっこいい目標しか書きたくなくなると思って、少しゆっくり生活していた。

どんなことに関して書きたい?
しばらく、テレビをみて、お昼寝をしてぼーっとする生活をしてきた中で、久々に自分にそう問いかけてみた。


・自分にいろんな問いを投げかけてみる
・2018年どうなりたいか考える
・気づいたこと、楽しいこと、生きてる感じのすること
・最近思うこうと変わり目の話
・帰省って最高かもしれない、お母さんって最強かもしれない


色々書いたけど、これらは気が向いたら書いてみることにして。

こんなことを書いてみたいかな、浮かんできたので書いてみる。

昔、プロフィール帳が流行った。小学校から中学校くらいまでの年の頃、好きな歌手や星座、プロフィールを専用の台紙に書いてもらっていろんな人の個人情報や今思えばどうでもいい情報の書いた紙を集める風習があり、よく友達に書いてもらったり、自分も書いたりしていた。

私はそのプロフィール帳を書くのが好きだった。日々新しく好きな歌や本が発見されるたびに更新して自分のプロフィール帳を書いていた。

f:id:goohaopanda:20180105012657j:plain


だから、私自身のプロフィールは何枚もあった。その紙の上で私はあまり素直じゃなかった気がする。
これを好きっていったらかっこいいかな。好きなあの子がこれを好きっていってるから真似してこれにしよう。
そんなみられることを意識した回答ばかりしていた気がする。

いつ話題になるかもわからない、どうでもいい問いへの答えを何時間もかけて考えてしまう。
なんだかこの考えている時間はとても好きだった。没入している感じ、他のことは何も考えない感じ、それがいい。

最近はあまり、自分自身に問いを投げかけなくなった気がする。

「パン派かごはん派か」とか「好きな本は」とか
どうでもいい問いに関しても考えなくなった気がする。

どうでもいい問いについて考えたいなと思ったので、プロフィール帳を買ってみようかなとも思う。

なんとなく今決めたけど、今年1年は「問う」ことを大切にしたいなと思った。


最後に、

あなたの好きなどうでもいい問いはありますか?

徒然なるままに今どうしんどいか書く

今とってもモヤモヤしている。モヤモヤに加えてウズウズしているのは、グラフィックに頼りすぎると言語化できなくなるというのを聴いて、とても腹落ちしたので頑張って言語化しているから。ゔ。

今出てきた言葉とずっと一緒に居たくないと思ってしまうし、なんとなく今後もこの話をする時にここで出てきたなんとなくの言葉を使ってしまうのは癪だがしょうがない。言語化することを優先する。なんとなくで出てきた言葉でもよしとする。
きちんと練って考えて考えた言葉をしっかり使っていきたいけど、そんな言葉に出会えてないからしょうがない。

モヤモヤしているのは、学部選び・学校選びに関して。
今まで私は結構学部選びも学校選びもなかなか上手くいって、大学楽しそうにできていると思ってた。
入学して時が経つに連れて、これは少しずつ違和感に変わり続けていく。
「私って本当に途上国のこととか学びたかったのかな?」「言語とか、教育工学とか、認知とかやってる先輩の話面白そう、楽しそう」「社会学ってこんなになんでもできるって知らなかった」「学問の面白さを知らなさ過ぎた」「大学生ってこんな感じなんだ」

今Foraという団体で高校生に向けて学問の面白さを伝える進路の授業をしている。入学当時は「私は別に学びたいこと学んでるし」とか思ってたけど、今「高校の時に出会ってたかった」と思う。調子乗ってた。ヴウ。

そもそもやっぱギャップイヤーしとけばよかったのでは?とか、高校三年生の知識と経験で将来に関わる、または最も楽しい学びの場に出会うための判断をするのは制度的にどうなのか?など、考えるが今はどうしようもないので、置いておく。

次に、今できることを考えたい。学びたかったことなのかどうかをまず確かめたい。
そのためにできることは、他の興味のある学問を実際に学んでみることだ。本をたくさん読んだり、他学部他大学の授業を聴講させてもらったりしよう。確かめるための他の方法を知ってる方誰でもいいので教えてください!

学びたいことを学べる場にいくための選択肢にどんなものがあるのか知りたい。
編入、休学、留学、大学に2ついってる人の話を少し聞いたことがあるから、その話も聞いてみたい。他にも知りたい。

目的がないとダメなんだろうか。何に向かって準備すればいいんだろうか。モヤモヤ。



今まで、なんとなく「国際協力」「貧困解決」みたいなものを指針に進んで、それっぽいものに乗っかってきた。
乗っかるのは楽だ。自分で、自分を語れるものがあると安心する。
今の私には乗っかるものも、なんとなく語れるものものない。しんどい。
でも、より快適にもっとワクワクする方へ向かっていくための準備期間なんだと思う。本当の軸のあり方や進むべき一歩の踏み出し方がわかってくるともっと楽になれるが、それをみつけるのは容易では無いんだと思う。だからしんどい。

いつから涙が出なくなったんだろう。

いとこと久しぶりに会った話。5歳の女の子のいとこが私にはいて、前会った時は、2歳くらいで物心もついてなかったような記憶なんだけど、久しぶりに会ったら人見知りしない元気な女の子になっていてまずびっくり。

このいとこがまあ、可愛くて可愛くて、元気はもう「そんなの関係ねえ」をやってる小島よしおぐらいで、テンションの高さは笑い声で大気圏外まで飛んで行けそうなくらいの女の子なんです。
そして、私と会えたことが相当嬉しいらしくて「あなたに出会えた喜び、全身全霊で表現します!」と言わんばかりの声と表情で接してくれるわけで1日一緒にいたんですけど、圧倒されっぱなしでした。
f:id:goohaopanda:20171010201848j:plain
そして、一番心掴まれたのは、通信教育の付録についてくるメッセージボードみたいなものに書いてくれたメッセージで、「なかよしになりたいです」って書いてくれたもので、もう私は悶絶。可愛いーーー!!って叫びました。そのボード持ってこっちをじっと見てるんです。そして「お姉ちゃんといっぱいいっぱい遊びたいし、全部一緒にやりたいの!」と言い放って、私即答で「いいよ!」と言いながら抱きしめました。

その日の夜「きょうで、おねえちゃんのこと、だいすきになったよ〜」なんて言うもんだから、鼻血出るかと思いました。可愛過ぎません?
そんなセリフ言って見たい人生です。今度好きな人に会えたら言います。

彼女は与えられるより、与える事に喜びを感じるようで、お絵描きしても笑かしにくるし、お手紙描いても秒で返信くれて「うれしい〜?どうだった〜?」って聞いてくる。

そして極め付けはお別れの時。私が東京に帰ることを理解してなかったみたいで、もう帰るんだよと伝えると、お母さんに激突してそのまま動かなくなりました。泣いてるんです。声を殺して、お母さんに顔押し付けて、泣いてるんです。かわいさプライスレス。寂しさでこんなに涙出るんか。そういやいつから泣いてないっけ?

そんなこんなで彼女と1日過ごして様々気づかされたわけですが、素直さは失いたくないものだなと改めて感じました。

f:id:goohaopanda:20171010201939j:plain


いつから悲しいときに涙を流して、好きなものに好きって言えなくなったんだろう。
かけらでも、素直な気持ちを伝える心とか勇気を持っていたい。
恥ずかしいとか、らしくないとかどうだっていいから一生懸命に生きたい。

写真でやってみたい事

写真を撮るとき「その瞬間」に集中している感じがとても好きで
ファインダーをのぞいた時の世界の新しい発見や美しさを見つけられる不思議な効果も好きで、私は写真が好き。

f:id:goohaopanda:20171003134254j:plain


「フォトグラファーになりたいの?」と、たまに聞かれる。
写真でお金をもらってみたいから、肩書きとしてはフォトグラファーにはなってみたい一方でやりたいことは他にもあるから、素直に「うん」といえない。
世の写真家が大変そうだしなかなか食べていくのも大変そうだから「うん」という勇気もないんだと思う。

「インスタ映え」「フォトジェニック」というコトバは今や、人を動かす力を持ち始めていて、写真への関心は高まっているように感じる。

ディズニーランドで登ってはいけいないと書かれた場所に登ってまで、映える写真を撮りたい人たちのモチベーションはすごい。何が彼らをそんなに動かすのか。

彼らの撮られたい欲に応じる人がいてもいいと思っていて、例えばディズニーランドに行く女子大生グループに同行して1日ないし半日専属カメラマンとして写真を取ってあげるといったことをやってみたい。

ディズニーランドのみならず、観光地に行ってもそうだ。タイの観光地に行った時、みんな必死に自撮りしていた。その脇でよくわからない布の作品を売るホームレスがいて、私は彼らの写真を撮ってあげて、チップをもらう方が確実に稼げると思った。

f:id:goohaopanda:20171003135617j:plain

そういうことをしている人がいたら、教えてほしい。
カメラマンと撮られたい人をマッチングする会社はいくつかあるようだけど、共感できる部分が多くはなくて、自分で作れたら面白いなと思いつつ、日々好きな人を撮る事に今は熱中している。

でも、近いうちにカメラマンとしての規画うち出そうとしているので楽しみ!

私が書く理由

 

 

私がブログを書く理由がある。

初めて私が認められたと思ったのは文章の中だった。

 

書き物は自分に向き合うのをやめると突然、驚くほど書けなくなる。

ある本を読んで、文書を書きたいと思ったのが今回のブログを再び書き始めたきっかけでもある。

 

私を初めて認めてくれたのは、一橋大学の一條先生という人だ。たぶん。

それから、日経新聞社の人だ。これは確か。

 

私は日経主催のイベントに高校1年生になりたてのころ、参加した。

お父さんと参加した。

半日のイベントのために、わざわざ新幹線で千葉まで行った。

それは社会人による授業体験プログラムのようなもので、一條先生がそこで話していた。

 

開会式の挨拶だった。

印象的な話だった。内容はもう、よく思い出せないけれど、一條先生が繰り返し使っていた言葉があった。

 

Discover yourself.

 

f:id:goohaopanda:20170923204649j:plain

なにか強いパワーを感じた。

その日、私はとても緊張していて、不安げで、授業終了後の交流会でも、ずっとお父さんの隣にいた。

「質問しないの?」と父に聞かれたけど、「いいや」「大丈夫」しか言わなかった気がする。

 

 

閉会式で課題が出されて、アフターリポートを日経新聞社に提出するよう一條先生に言われた。締め切りの前の日には一條先生からメールが届いた。

 

今思えば、一斉送信だったろうけど、そのころの私は「一條先生からのメールなら、書くか」と突き動かされて、リポートを書いた。

 

 

その時、初めて寝る前に自分が考えていたことを、1人不安に思ったことを、一條先生ならいいか。と思って書いた。

 

世界が平和になると信じていること、自分の幸せな現状、日本のおかしなところ、児童労働の現状、拙くても自信をもって書いてた。

 

 

f:id:goohaopanda:20170923204431j:plain

 

提出したことも忘れていたある日、電話がかかってきた。

そのリポートが入賞した。

 

学校にも連絡が行って、学年通信に載せてもらった。

同じことを考えている子が、話しかけてくれた。

いろんな先生に「読んだよ。」と声をかけてもらった。

賞を取ったことよりも、内容に共感してくれた人がいたことが、安心感を私にもたらした。

 

「私だけじゃなかった。」「1人じゃなかった」

そう思うと自信がついて、夢を語ることも怖くなくなった。誰かに話しかけることも、少しずつできるようになった。

 

そのレポートがこちら。

 

http://adnet.nikkei.co.jp/a/edu/2014/report/report_a13.html

 

このころからワクワクすることを探していたんだ。このころ思ってたような大学生になれてるかな。

 

1つの私の在り方が文章だから、書き続けたい。