言葉の空振りが怖い。
そわそわしてしまったから書く。
最近、自分が考えていることを話すとそわそわしてしまう。
ついでに、ドキドキもする。
なんだかその状態がとっても好き、幸せな気持ちで溢れる。
自分が考えていることは、「ことば」のこと。
意外と、みんなが使っていることばは広い。
一つの言葉でも、東京ドーム40個分くらいの広さがあるような気がしてならない。
例えば「付き合う」という言葉。
右端の東京ドームに立つ人もいれば、真ん中、そして、一番左端に立つ人もいる。
これは、その言葉に対して持つイメージの話だ。
付き合う時に、大事にしたいことは人それぞれある。
付き合う時には、
連絡を毎日取りたい、
できるだけたくさん会いたい、
それぞれの時間を大切にしたい、
適度な距離を保ちたい、
といったように大事にしたいイメージが人によって変わってくる。
40個分の東京ドームには、もっともっとたくさんの複雑なイメージが詰まっている。
人の数だけイメージがある。
だから、できれば
「(できるだけ毎日たくさん会いたいから)
付き合ってください」と、かっこの中まで、
伝えることができたなら、
もう少しあの人と、
仲良くやって行けたのかなあなんて。
そういう風に、広い言葉を使っていると、空振りしてしまうことがある。
だるま落としの、一番下の積み木を叩けないあの感じ。
空振りしたことに、気づかないこともある。
ほとんどの人は、自分が空振りしても、あんまり気づいていない。
それはちょっと危険だ。私は少し怖い。
だから、私はもっともっと丁寧に積み木を打っていきたいのだ。
あの人は、この言葉のどこに立っているのかなあと、想像しながら言葉を使っていきたいのだ。
あなたが立っているのは、ここでしたか?と、確かめながら進んでいくのも、なかなか悪くない。
着々と進んでいくと、すんと気持ちよく理解できることが多い。
そんな時、私はドキドキしてしまう。
このドキドキはきっと、東京ドーム40個分の原っぱを歩き回って、あなたを見つけた嬉しさではないかな?