好きなものログ2

追記;学習方法まとめも書いたので、こちらもご覧ください
note.mu


「あ、繋がった」


24時遅めの夕飯を作りながら、考え事をしていたらふと点が繋がった。

前回に引き続き好きなもののことを書いていく


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私は絵を描くのが好きだ。

最近私に会った人はグラレコの話を聞いているかもしれない。記事も書いたそのグラフィックレコーディングにハマっているし、思考のために必要なものの一つになって来ている。でも、今のままで良いやとは思っていなくて、もっと見た人に考えさせるような、気づく楽しさや学ぶ楽しさを与えられるようなグラレコ2.0にしていきたい。


goohaopanda.hatenablog.com
グラレコに関する記事はこちら


振り返れば私は小学校の時3年間くらい絵画教室に行っていた。
クラスメイトのお父さんがやっている教室で、美大を目指す学生が集まるような場所に週に1回通ってお絵描きしていた。版画を作ったこともあったし、自画像を書いたこともあった。その教室にはたくさんの石膏像があってそれを囲んでデッサンするお兄さんお姉さんがたくさんいた横で、絵を描いていたのを覚えている。

最近その絵画教室の近くを通ったらもうなくなっていて、教室からトイレに行くまでに居たインコは死んじゃったかなと少し寂しくなった。クラスメイトは立派な画家の卵になったのかな。練り消しに初めて出会ったのはあの場所だったし、いろんなものに出会った。

転校することをきっかけに絵画教室は辞めてしまったけど、最後に書いた絵を市民センターかどこかに展示してくれて、家族とそれを見に行って少し誇らしかったのも覚えている。



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それから中学生になって、図画工作は美術に進化した。美術の先生は変わり者で、みんなに真似されていたけど私は好きだった。先生なのに授業中にスマホを使っていたところが、人間らしくて決まりに捉われなくて好きだった。鳥の巣を頭に載せたようなファッションで、5年早く退職すると言って離任式で清々しくスピーチしている姿が好きだった。

中学2年の時の次にきた先生は仏っぽいおじさんの先生だった。ゆっくりしゃべる。私はいつでも友達とふざけていたけど、見逃してくれたし、時々覗きにきて褒めてくれた。自画像をかく授業の時、先生は私が書いている途中の絵をみんなのお手本にして、ここがこう上手いとかみんなの前で解説してくれた。絵画教室の時にやっていた感覚で書いていたけど、実は身についていたものがあったんだと今になって思う。

お手本になった自画像は、学校の中で選考されて何かに選ばれた。私の名前と中学の名前で検索すると、その絵がネットに出てきて、少し有名になった気がした。


振り返ればこんなことあったな程度のことだけど、今再びグラレコに向き合うとそういった経験が生きているんだと気付かされた。無駄じゃなかったと気づくことができて嬉しい。




私がメモを取っている時に、「これグラレコじゃん」といって私が知らない間にぐらレコしていたことに気付かせてくれた萌子さん。
こんな記録の仕方があるんだとグラレコに出会わせ、教えてくれたラブちゃん。
そして、師匠のなみのさんに出会わせてくれた琢さん。
そのほかにも今出てきた絵画教室の先生、美術の先生、お母さんなどなど、ありがとう。


師匠のなみのさんが「心を失うグラレコをしないでほしい」といったことがある。

私はそれに対して思うことがあった。
私は逆に心失うことができるグラレコが好きだった。それはある種瞑想的な意味を含んでいて、書いている間は聴力とグラフィックへの置換に集中し感覚が研ぎ澄まされるから、他のことを考えず没入している感じが好きだからだった。気づくと何時間が経っていたり、時間を忘れて何かをすることが久しぶりだったからその感覚が好きだった。



でも、最近そうでもないなと思ってきた。

ある程度余裕をもって書けるようになってきて、考えることができるから、どうしたら読み手に問いをあたえられるだろうと考えるようになった。どうしたらグラレコを通してより楽しく学び、気づくことができるんだろう。それを反映させるには心ないグラレコでは足りないのだ。

やっと意味がわかった。この意味がわかるようになったのは前回の記事に出てきた菊間さんの習慣のおかげで、考えるようになったからだ。


goohaopanda.hatenablog.com
前回の記事はこちら


今年1年間グラレコを頑張りたいと思ったけど、どう頑張りたいんだろう。
そのためにできることはなんだろう。

変わってもいいから問い続けながら向き合い、アップデートしていきたい。