空白の期間

私には空白の期間があります。

 

 

 

 

いつ失ったか、それは覚えています。

 

半年前です。

 

 

 

 

半年前くらいから、私は中学校の3年間を失った気がします。

 

 

 

 

 

 

前の記事で私は「消化不良」だ。と書きました。

 

 

 

 

なにを消化しなくちゃいけないのか?

 

 

それは経験です。

 

 

 

 

 

 

経験です。そう言い切りましたが、

 

 

この文章の中で、たいていのことを現在のこの瞬間の思いで言いきっています。

 

2秒後には変わっているかもしれません。

 

 

 

 

でも、いいのです。

 

 

 

理由は上手く説明できませんが、後々かたちにしていきます。

 

 

 

 

 

 

 

さて、

 

経験とは何でしょうか。

 

 

わたしはここまでひと・こと・もの・風景・ときに出会ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1か月に2か3出会い、年間で25くらい出会っていたそれらが、

 

 

 

この半年で400くらい突然に出会ったのです。

 

 

 

 

 

 

いわばこれは、私にとっては「ショック」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

この「ショック」によって、それまでの生活が消えてしまったと思うのです。

 

 

 

消えたというよりも、霞んだ。

 

 

 

 

そのためにショックから解析し、霞んでしまったものを取り戻したいのです。

 

 

もしくは、霞んでしまったものから、ショックの原因を知りたい。。。。。

 

 

 

 

 

わからない。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉の空振りが怖い。

そわそわしてしまったから書く。

最近、自分が考えていることを話すとそわそわしてしまう。
ついでに、ドキドキもする。

なんだかその状態がとっても好き、幸せな気持ちで溢れる。





自分が考えていることは、「ことば」のこと。
意外と、みんなが使っていることばは広い。

一つの言葉でも、東京ドーム40個分くらいの広さがあるような気がしてならない。



例えば「付き合う」という言葉。

右端の東京ドームに立つ人もいれば、真ん中、そして、一番左端に立つ人もいる。

これは、その言葉に対して持つイメージの話だ。


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イメージ


付き合う時に、大事にしたいことは人それぞれある。

付き合う時には、
連絡を毎日取りたい、
できるだけたくさん会いたい、
それぞれの時間を大切にしたい、
適度な距離を保ちたい、

といったように大事にしたいイメージが人によって変わってくる。


40個分の東京ドームには、もっともっとたくさんの複雑なイメージが詰まっている。

人の数だけイメージがある。




だから、できれば

「(できるだけ毎日たくさん会いたいから)
付き合ってください」と、かっこの中まで、
伝えることができたなら、
もう少しあの人と、
仲良くやって行けたのかなあなんて。






そういう風に、広い言葉を使っていると、空振りしてしまうことがある。

だるま落としの、一番下の積み木を叩けないあの感じ。


空振りしたことに、気づかないこともある。
ほとんどの人は、自分が空振りしても、あんまり気づいていない。


それはちょっと危険だ。私は少し怖い。

だから、私はもっともっと丁寧に積み木を打っていきたいのだ。
あの人は、この言葉のどこに立っているのかなあと、想像しながら言葉を使っていきたいのだ。



あなたが立っているのは、ここでしたか?と、確かめながら進んでいくのも、なかなか悪くない。



着々と進んでいくと、すんと気持ちよく理解できることが多い。

そんな時、私はドキドキしてしまう。

このドキドキはきっと、東京ドーム40個分の原っぱを歩き回って、あなたを見つけた嬉しさではないかな?

手から心を可視化する

かぜひいた。

今年初めて生理痛以外で寝込んでる。
ここまで走れるようになった自分にぱちぱち。
支えたり、気にかけたり、一緒に進んでくれるみなさんに感謝。
おふろにはいって、少しスッキリしたのですこし、最近のことを書いてみたいなと思う。

最近は変わらずグラフィックレコーディングをぽちぽち頑張っている。月に2回くらいお仕事があったり、なかったりしている。

グラフィックレコーディングに関する記事たちはこちら。

goohaopanda.hatenablog.com


ただただ熱中する期間は過ぎ去り、悩みながら進んだときにシアトルに行って色々考えた。

おかねおかね、ビジネスにして稼げるようにしなきゃ。
そのためにはすごい効果を発揮したりしないと。
でも、すごくない気がする。

どうしよう。

わからない。

なにかすごいことができる気がしている。

そう漠然と考えていたが、答えは出なくて、でも、
少し落ち着いた。


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すごくならなくてもいいや。
だって、自分のためにやってるんだから。

描いたほうが私が理解しやすいからやってるんだ。

今のレコーディングのか変わり方じゃ、結構一方通行になってしまうのもわかる。

事実だ。私が悪いんじゃない。


そう思えて、これからは方法として使っていきたいし、可能性のある切り取りかたなら少しわかる気がするから、そういうことを試していきたい。


そのためにはグラフィック以外の軸が必要なんだ。
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話は変わって。

はたちのわたしはいろんなものを作ってみたい。
形を残したい。
そのプロセスを肌で感じたい。

根津のblockでつくった梅酒、
神楽坂、陶芸で作ったカップ
秋保でつくった漆塗りのお箸、

それぞれ思いが詰まってる。

梅酒は、okaraで自分の生まれた年に漬けられた梅酒の梅に出会って感動したから、あ、またつないでいかなくちゃと思って、作りたい作りたいと思っていたら知り合いが偶然梅をもらってきて、梅酒作るワークショップを開いたから飛び込んだ。

まだ飲めないけど、梅の瓶はかわいい。

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陶芸ははるなと思いつきで行った。
話してた2日後とかに実現した。

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これもかなり衝撃で、電動ロクロで回る粘土には心の動きがダイレクトに伝わる。緊張するとだめ。
平常心でリラックスかつ、技術を要するからめちゃめちゃ難しい。
これに私はぞくぞくしてしまった。
もう少しやったらうまくできそうな感じがしてしまった。

いいないいな!と思った。

もちろん、難しいぞと脅されたのに、褒められて嬉しかったのもあるだろうけど、多少難易度のあることに没入できたあの感じがたまらなく好きだった。
あと、包み込むゴツゴツの職人の手は最強にかっこいい。

アドレナリンが出た。


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あれをもう一度感じたいと思って、今度はお箸を作った。
お箸はかんたんだったけど、普段あまり人と関わらないであろう職人さんの語り口にぐっときた。

フレンドリーで、優しいんだけど、こだわりが見え隠れした。日本の職人かっこいい。

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次はきのこを作る。

キノコハウスを買った。
命をすごく感じたから衝動買いした。

動画はこちら

youtu.be



最近ウイスキー工場にいって、お酒、深すぎる、と感動したから、お酒づくりにも興味がある。

やってみたい。

直近はものづくりを飽きるまでやっていたい。
意味がわからなくても、盗まれない経験をたくさん溜め込みたい。

帰国report【iLEAP SIL in seattle】

8月1日から25日シアトルでiLEAPに参加しました。レポートで学びや感じた事を共有します!

日本に帰って来て、自分が少し外国人になった気分になりました。

小さい箱のみたいなトイレ、人の多い駅、すれ違う人と目を合わせない人々、スズムシの鳴き声、ジメッと重い空気、どこか疲れたような機械的な接客、日本が少し違って見えました。

人混みや電車の中でまわりの人が日本語を話しているのが違和感で、空港から家まで一緒に帰った子と3週間で少し慣れてきた英語で、なんか不思議だねと話しました。

というのも、シアトルでバスに乗っていると話しかけられることもあったし、”How are you today?” "Have a nice day"の2つの言葉は、誰にでも真っ直ぐに向き合う、存在を気にかけるための素敵な言葉だとおもったし、日本に帰ってきて恋しくなりました。日本語では調子どう?と表されるのかもしれないけど、ほんの何秒かでそのコミュニケーションが誰とでも、初めてあったお店の人とでもできる文化はとてもすてきだな。

お店の人が、お客さんとコミュニケーションを取るのは挨拶だけではないところが、もっとすてきなところ。着てる服や持ち物を褒めあったり、ずっと前から友達だったみたいにすらっと気持ちを伝えられるから、バイトをするならアメリカ楽しそう。

日本だと決められた事以外はあまりしていけない感じがするけど、アメリカはいい意味で適当でそれがすてきだなと思う。

いい意味で適当なのは、私が滞在していたホストファミリーやそのほかのことも然り。



ホストファミリーは愛の体現。

私が滞在したお家は毎日通っていたアイリープのオフィスから徒歩6分のお家。
ママのニコールさん、パパのべん、ジョージーエリアナの姉妹の4人家族。
そこにワタシを含め、日本人4人がステイしていた。

本当に愉快かつ豊かなお家で、帰るとお母さんと娘が勉強している日本語が飛び交う。
「コレ、ワタシつくりました」と今日作ったアイロンビーズをくれるジョージー
最初はシャイだったのに、帰るとハグしてくれるようになったエリちゃん。
「How was your day? タノシイ?」といつでも気にかけてくれるパパとママ。

本当に笑い上戸なママで、いつもパパがギャグを言って笑わせていた。
パパは日本語のジョークも言える笑
(牡蠣を食べていた他のハウスメイトに「Oyster is おいしースター!」と。。)

寝る前は南ハグしてくれる。
アメリカのハグはずっしり重くてぴったりくっつく。好きでした。

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help yourselfに慣れるまで

冷蔵庫が2個あったり、週に1回コストコの日があったりした。
冷蔵庫の中やキッチンを勝手にあさり、好きなものを食べるのは最初はかなり抵抗があった。

「自分がなにを食べたいか」
「ワタシはどうしたいか」

それがわからないとなにも始まらなくて、「自分はこうしたい」を常に持つとてもいい機会になったなと思う。
食べ物以外でも然りで、どこに行くかなにをするか、どれを選ぶか決定権は家族の誰にとっても「自分」なのがとてもいいと思う。

なぜなら、自分の人生を生きるのは自分だということを小さいところから感じることができるからだ。

プログラム中はたくさん「自分」に問いかけられた。
「あなたは」どうおもった?
「ワタシは」こうおもった。

意外と忘れてしまいがちな主語。

日本にいるとこの場に適したことを言ったほうがいいかなと、余計なことを考えてしまい、
この余計なことが積もり積もると「ワタシ」がどんどん濁っていく。
社会にとって都合のいい「ワタシ」やその場に貢献した「ワタシ」しかいなくて、純度100%「ワタシ」を保つことは困難だ。

だから、私はこの4週間でクリアになって行くことを最初に目標とした。
感動して泣いて、緊張して泣く。これができたらOKとした。

そのために、私は無理に笑顔を作ったり、お世辞を言ったり、おもってないことをすることをやめた。
フィードバックはいいことも悪いこともするし、モヤモヤしたら口にする。
簡単だけど、環境が安全でないとこれはとても難しいことで、それがでっきる場づくりをチームのみんなで、できたことをはかなりいい経験になった。

そして、グループ全体として、「私」を出しても大丈夫な場を作ったiLEAPのプログラムデザイン、本当にすごいとおもった。

プログラム内でよく言われたいたラーニングエッジというものがある。
自分にとって快適な環境の外側にはパニックゾーンが存在していて、その境界にあるのがラーニングエッジ。
ギリギリ不快を感じるところが、学びにつながると言われていて、それを実現できる環境をデザインできるのが本当にすごいと思う。

快適な空間を作るのにはある程度正解があると思っていて、それらを学べれば実現できる。でも、ギリギリ不快か快適かというラインはもちろんひとによって、バックグラウンドや抱えているものが違うから、実現するのは超絶難しいことだと思う。
それを意図的に作り出せるのは本当にすごいと思った。

ギリ不快だった時のメモは見たい人に見せるので、声かけてください笑

今回はチーム5人で取り組むプロジェクトがあって、そのメンバーからもらったフィードバックがかなり的確だったように感じたのでそれも残しておく。


プログラムを通して見えてきた「ワタシ」のこと

  • ポジティブ

基本目の前にある事実をポジティブに受け止めている
何か困ったことがあっても、積み上げてきたことから解決策を考えることができる

  • 対局

今いる議論をメタで捉えて、対極の意見を持ってくることができる。

  • 引き出す

みんなのコラボレーティブな部分を見つけだして、そこから可能性を広げることができる。

  • ビジュアル化

議論の可視化(グラフィックの活用)で自分たちが今何について話すことができる。

  • センター

みんなを主役にしつつも、ミーティングではセンター的立ち位置にいる時間が長い

チーム全体を自転車として表現するなら、はるちゃんは円滑にするためのオイル的役割

  • 時間の流れが違ういい流れがある

1人だけ違う時間の流れがあるから、ミーティングの流れも変えられる

  • クリティカルもポジティブもフィードバック

本音で意見を言ってくれるから、自分も言いやすい空気を作ってくれた

フィードバックに対してフィードバックをもらったんだけど、着眼点が独特らしい。嬉しい。


このプログラムの中でもらった言葉二つを私は大切にして今後自分のプロジェクトを頑張って行くんだと思います!

「地震の時大丈夫だった?」

日付が変わり3月11日になった。そわそわして眠れないから、筆を取ってみる。

地震大変だったんじゃない?大丈夫だった?」

私の出身が仙台ということが分かると、この7年間何度も何度も聞かれたことの言葉。

歳を重ね、時間を経るごとに回答に悩むようになった。
今、重みを含んでいるこの言葉への回答を、時間も分量も気にせず、背伸びせず残しておきたい。

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「私は大丈夫だったよ。」


前日も大きな揺れがあったため、「またかよ」と思いながら机の下に潜ったが想像以上に揺れが大きくて、長くて、不安になった。

その日、揺れが起こっている間は、机の下でただひたすらいろんなイメージをした。ものすごく頭の回転が早かった。



当時幼稚園に通っていた弟はその日お母さんと駄菓子屋に行くと言っていたよな。
今頃帰り道にブロック塀に押しつぶされてはいないだろうか。


お父さんは仕事場で、棚に潰されてないだろうか。

外の建物は崩れてないだろうか。

阪神・淡路大震災の時みたいな家屋の倒壊が外では起こっているのか。

もし大切な誰かがなくなっていたらこれからどうするのか。










揺れが収まり、最低限の荷物を持って外に出ることになった。



外の風景はいつもとさほど変わらず、地面に少しヒビが入っていたり、スーパーの立体駐車場の橋が崩壊しているのが見えたくらいだった。



阪神・淡路大震災の時の倒壊の様子を想像していたから、「案外大丈夫そう」とほっとした。

校庭で親の迎えを待ち、しばらくして家族が小学校に揃い「とりあえず大丈夫だ」と安心した。















震災の直後、学校が休校になった。

することもなく本を読んでいたり、校庭で鬼ごっこやバスケをしていた。





電気はしばらく通らなかったから、ゲームは充電がなくなるまでしか出来なくてなんだかもったいなくてやらないでおいた。



近くの大きなスーパーでは、揺れた時にスプリンクラーが作動して、中に入れなくなった。
外に1時間くらい並んで、お菓子などの食べ物の入った詰め合わせを一人2つ買った。




携帯が使えないから、人づての情報を頼りに炊き出しや食べ物を手に入れる場所を探した。

マンションの住民同士で、手に入れたものを交換したり水を運ぶのを手伝いあったりした。



夜になると明かり一つで、電気のついてないこたつにみんなで入って小さなワンセグテレビか何かを見ていた。リスニング用のCDプレイヤーで音楽をかけたけど、なんだかカラ元気みたいな気がして消した。




それから1週間くらい本を読んだり、トランプをしたりしていた。たまに掃除をして、小学校に新聞を見に行った。









直後の一週間は何をしていたか覚えていないが、終わりのない春休みのような感じでぼーっとしていた気がする。

沿岸部の様子を見に行ったが、「テレビで見たのと同じだ」と思った。親戚も友達も津波の被害はなかった。

今まで通っていた道から、突然海が見えるようになって驚いた。

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こんな感じで、かなりぼーっとしていた。

一番ショックだったのは、祖父母の住む福島の原発が爆発した聞いて急いで帰ってきた時の母の雰囲気をみたとき。真っ青だった。

それから親友が引っ越してしまったこと。


中学は地元のメンバーが多く、内陸部で津波の被害がなかったからみんな私と同じような被災の状況だった。










だから、中学生になってから

「震災後みたいにずっと遊んでたい」

「また休校になんないかな」

なんて言葉も聞こえた。




不謹慎かもしれないけど、これが正直なところで少し大きい台風くらいに思ってたかもしれない。

だから、大丈夫だった。

私は震災の時、あんまり大変じゃなかったし大丈夫だったよ。

そう、なんの曇りもなく答えることができた。




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ではどうしてそう答えられなくなったんだろう。


被災で大切な人を亡くした人との出会いがあったから。

その人たちの津波で被災したときの話を聞いたからだった。

大変な人たちの体験が私の中に入ってきて、彼らのことを考えたら「大丈夫だった」とは言えなくなった。


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高校で出会った閖上の子は、流されていく同級生の手を掴めなかったというし、

三陸の親戚がまだ見つからない友達はとても悩んでいたし、

同じぐらいの歳の子が小さな揺れでもトラウマで泣いてしまうから、


私の知ってる震災と違うと思った。

彼らが「被災者」で私はそうでないんだと思った。





www.huffingtonpost.jp


この記事でいう中間被災者という言葉がとてもしっくりきた。被災者だけど、被災者とのギャップを感じる。

私も中間被災者だった。





宮城で生まれ育ち、3月11日もそこにいた私でも、被災という言葉に距離を感じてしまうのなら、あの日普段と変わらず生活していた人達にとっては「防災」も「被災」もさらに馴染みのない言葉なのだろうと思った。


だからこそ、私の今の立場で今出てくる気持ちで語りたい。

見て、聞いて、考えたことを私なりに伝えることが今のわたしにできること。

だから、「地震の時、大丈夫だったけどいろんなことがあったよ。」と答えて、気にかけてくれた人の「震災」や「被災」という言葉の周りに少し考える種をまければいいなと思っている。


そうして、被災者という集合の中で私としての立ち位置を見つけて少しもやもやが晴れた。




得たものや学びと言ってはなんだか薄っぺらくなるが、震災がもたらした影響は様々ある。

大切な人に会えなくなった悲しみを知る人からは、「今いることへの喜び」を教えてもらった。

色々な不安が一気によぎり頭がフル回転するあの嫌な感じはもう体感したくないから、そのための備えを最悪のケースを考えるようになった。

好きな人に好きって言う勇気をもらったこともある。


そんな話を今日はしたい。重くてもいいし、壮絶でなくてもいい。「あの日あなたは何をしてた?」





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地震大丈夫だった?」と聞かれると答えにくいから、少し怖かったけれど

今は前より自信をもって話してみようと思えるようになった。


それぞれに被災があるし、それぞれの思いがある。今日は経験や思いを共有しやすい節目の日だから、誰かと話せたらいいな。








20110310.nezihiko.com


最後に少しドキドキするこのサイトをぜひのぞいて見てください。

毎日三日坊主がいい理由

昨日この本を読んだ。


超勉強法で有名な野口悠紀雄さんの図解版、とても読みやすくて30分あればざっと内容把握できる薄い本なのでぜひ。

その本の中で、文具王の高畑正幸さんが

「3日坊主は1年で120回できる。プロにはなれなくてもその辺の人より詳しい人になれる。」
と言っていた。

私はこれをなるほどと思って、実践しているところであるがとてもいい。

なぜかというと、3日というリミットがあるから、集中して熱中できるのだ。

私の最初の3日坊主は「勉強法の勉強を3日続ける」であり、
3日間で勉強法に関する本を6冊読んだ。

午前中は図書館かブックカフェで本を読むと決めて、実行した。

せっかくなので勉強法を勉強して発見した共通の事項をここでシェアする。
第1に、英語は暗記科目である。
第2に、本は読みものでなく、見るものでつまみ読みが基本であること。
第3に、人に頼ってできるだけ楽をするべきだということ。

これらのことを少なくとも3人が言っていた。
いい本には大体引用されている部分があってその本たちをはしごしていくと、この3日で10冊ほど読むことができた。

しかも、最初に勉強法の勉強で賢い人の本の読み方を学んだことで、格段に早く内容をつかめるようになった。

3日なら、なんとかできそうな気がする低いハードルだし、これは毎日3日坊主しない手はない。

今後3日坊主したいテーマは、美しさについて、認知について、脳についてなどなど。

好きなものログ2

追記;学習方法まとめも書いたので、こちらもご覧ください
note.mu


「あ、繋がった」


24時遅めの夕飯を作りながら、考え事をしていたらふと点が繋がった。

前回に引き続き好きなもののことを書いていく


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私は絵を描くのが好きだ。

最近私に会った人はグラレコの話を聞いているかもしれない。記事も書いたそのグラフィックレコーディングにハマっているし、思考のために必要なものの一つになって来ている。でも、今のままで良いやとは思っていなくて、もっと見た人に考えさせるような、気づく楽しさや学ぶ楽しさを与えられるようなグラレコ2.0にしていきたい。


goohaopanda.hatenablog.com
グラレコに関する記事はこちら


振り返れば私は小学校の時3年間くらい絵画教室に行っていた。
クラスメイトのお父さんがやっている教室で、美大を目指す学生が集まるような場所に週に1回通ってお絵描きしていた。版画を作ったこともあったし、自画像を書いたこともあった。その教室にはたくさんの石膏像があってそれを囲んでデッサンするお兄さんお姉さんがたくさんいた横で、絵を描いていたのを覚えている。

最近その絵画教室の近くを通ったらもうなくなっていて、教室からトイレに行くまでに居たインコは死んじゃったかなと少し寂しくなった。クラスメイトは立派な画家の卵になったのかな。練り消しに初めて出会ったのはあの場所だったし、いろんなものに出会った。

転校することをきっかけに絵画教室は辞めてしまったけど、最後に書いた絵を市民センターかどこかに展示してくれて、家族とそれを見に行って少し誇らしかったのも覚えている。



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それから中学生になって、図画工作は美術に進化した。美術の先生は変わり者で、みんなに真似されていたけど私は好きだった。先生なのに授業中にスマホを使っていたところが、人間らしくて決まりに捉われなくて好きだった。鳥の巣を頭に載せたようなファッションで、5年早く退職すると言って離任式で清々しくスピーチしている姿が好きだった。

中学2年の時の次にきた先生は仏っぽいおじさんの先生だった。ゆっくりしゃべる。私はいつでも友達とふざけていたけど、見逃してくれたし、時々覗きにきて褒めてくれた。自画像をかく授業の時、先生は私が書いている途中の絵をみんなのお手本にして、ここがこう上手いとかみんなの前で解説してくれた。絵画教室の時にやっていた感覚で書いていたけど、実は身についていたものがあったんだと今になって思う。

お手本になった自画像は、学校の中で選考されて何かに選ばれた。私の名前と中学の名前で検索すると、その絵がネットに出てきて、少し有名になった気がした。


振り返ればこんなことあったな程度のことだけど、今再びグラレコに向き合うとそういった経験が生きているんだと気付かされた。無駄じゃなかったと気づくことができて嬉しい。




私がメモを取っている時に、「これグラレコじゃん」といって私が知らない間にぐらレコしていたことに気付かせてくれた萌子さん。
こんな記録の仕方があるんだとグラレコに出会わせ、教えてくれたラブちゃん。
そして、師匠のなみのさんに出会わせてくれた琢さん。
そのほかにも今出てきた絵画教室の先生、美術の先生、お母さんなどなど、ありがとう。


師匠のなみのさんが「心を失うグラレコをしないでほしい」といったことがある。

私はそれに対して思うことがあった。
私は逆に心失うことができるグラレコが好きだった。それはある種瞑想的な意味を含んでいて、書いている間は聴力とグラフィックへの置換に集中し感覚が研ぎ澄まされるから、他のことを考えず没入している感じが好きだからだった。気づくと何時間が経っていたり、時間を忘れて何かをすることが久しぶりだったからその感覚が好きだった。



でも、最近そうでもないなと思ってきた。

ある程度余裕をもって書けるようになってきて、考えることができるから、どうしたら読み手に問いをあたえられるだろうと考えるようになった。どうしたらグラレコを通してより楽しく学び、気づくことができるんだろう。それを反映させるには心ないグラレコでは足りないのだ。

やっと意味がわかった。この意味がわかるようになったのは前回の記事に出てきた菊間さんの習慣のおかげで、考えるようになったからだ。


goohaopanda.hatenablog.com
前回の記事はこちら


今年1年間グラレコを頑張りたいと思ったけど、どう頑張りたいんだろう。
そのためにできることはなんだろう。

変わってもいいから問い続けながら向き合い、アップデートしていきたい。