指が進んで、将来の夢の話。

筆が進むというのもなんだかおかしいです。


なんというか指が進んだもので、ブログなるもののアカウントを作ってしまいました。







なぜこのブログを作ろうと気持ちが動いたかというと、最近私の文書はカッコつけてるからです。






小学生のころ、周りの子がウンウンうなりながら書いていた、行事あとの作文や、宿題の日記。



私はちょいちょいと書いていた記憶があるのです。






それは『単純に文を書くのが好きだった』のか、『きれいごとが得意だった』のか、理由はよくわかっていません。


そのうち見つかる気がします。








中学もちょいちょいと、作文を乗り越え、私は高校生になりました。



高1の夏休みエデュチャというものに出会い、そこであるリポートをだしました。





そのリポートが、電話が鳴らし、私を東京に呼びました。ホームページに私のリポートが載りました。学校の学年だよりに載せられみんなに読まれました。







そんなこんなで文書は得意分野のはずでした。




だがしかし、ばっと、近頃わたしの文がキモチワルイのです。




書けるのですが、読みにくいしキモチワルイ。





その原因をこう考えました。『消化不良』です。



アウトプット不足、自分ごとに落とし込めてない、いろんな解釈がありますね。




自分でも自分がどうしたいかわからなくなってきたのです。






『整理しろ』『整理しろ』『整理しろ』
いろんなひとに会うたびに言われます。


どうやって?

どうすればいいんですか?

言われるたびに訪ねます。


「何にもしない日を作れ」


ポストイットに書き出せ」


「時間軸ごとに整理しろ」


「相関図を作れ」


「散歩しろ」





いろんな答えをもらいました。









なんにもしないで、家の屋上で空を眺めました。

なんにもしない10日間をNYで過ごしました。

ノートにいっぱい書きました。

付箋も貼りました。散歩もしました。

ついでに10日間で映画を21本見ました。







たぶん、まだ足りないのです。消化不良です。



そこではてなブログなるものに手を借ります。



どうぞ見守ってください。










今考えたのは『将来の夢』について。


なりたい職業ですよね。

夢=職業


これも日本人らしさですね。






私が小学生の頃になりたかったのは何だったのでしょう。





小学校の卒業アルバムには『スポーツに関する仕事』とありました。



漠然としています。



きっと、ナイキやアディダス本社に務めたかったのでしょう。



なんとなくジャージのデザインなんかを、したかったです。



小学校から中学校のころの私は、夢を持たされていました。




『夢は何?』




問われると、答えられた記憶はあまりまりません。








どうせ死ぬし。と思ってしまうんです。




なんで未来に希望が持てるのかわかりませんでした。




大切な人を失うのもとっても怖かったです。




今両親が死んだら、私も死のう。



地震が来て兄弟が死んだらどうしよう。



そう思うと明日が来るのが怖かった。





高校生になったいまでも、『死』は過ぎります。



なにかに悩んでいても、『どうせ死ぬし。』が生まれると変な気持ちになります。









高校生になって初めて将来の夢ができました。

『宇宙飛行士』






きっかけはマンガ【宇宙兄弟】でした。





16さいのわたしに純粋に響いてきました。





疑いもなく宇宙に行こうと誓っていました。






多くの大人からは無理だと言われました。




私は今も『宇宙にいく』という夢は持ち続けています。




宇宙飛行士にならなくても、宇宙に行ける日が来ると高1担任から言われたからです。




もし、私が死んだら宇宙に散骨してください。




実は宇宙に行くためにお金を貯めています。





結婚式も宇宙で挙げたいです。

できるならば、土星で。






これ結構夢ですが、真面目に夢見てます。






この夢に共感してくれたのは、来世はマグロになりたいと言っていた親友だけです。








夢を持って得たものは、じしんのような、誇りのような、希望のような そんな感じのものだと思います。


それから、興味関心や行動力。




最も大きかったのは『欲求』










なるほど、夢があるとそれに向かっていくために、



今自分に必要なものを欲するのか。。






夢を持つ意味って何でしょうか?

『夢』と聞いて何が浮かびますか?